社用で土曜日上京。日中の仕事を済ませ、夜の部はこれ幸いと銀座に寄り、のんびりと晩酌を楽しみ、宿で一晩ぐっすり。明けて翌朝。昨夜とった食事は完璧に消化され、心地の良い空腹。何を食おうかな、と思いながらシャワーを使い、荷物をまとめ、あとは帰郷するだけの気楽さに、Tシャツにチノ・クローズのトラウザーズ、背中にリュックと、とうのたった学生のような格好になり、外へ出る。と、気分もどこか若返った「ような気に」なり、新御茶ノ水駅前のこちらへ。この名前のサンドウィッチ・ショップを始めて使ったのは遥か昔。前世紀末、1991年。東南アジアの島の国に駐在していた頃。コンドミニアム(あぱーと)と工場を往復の毎日。ホッカ・センター(Hawkers Centre )とかキャンティーン(Canteen)とかと言われていた、現地食のいわゆる屋台飯、ローカルフードに飽きた時、と言って、日本人上司に付き合って、ピースセンター(Peace Centre)やカッページプラザ(Cuppage Plaze)に入っている日式居酒屋から卡拉OK、日付変更線のサパー(あふたぁ)の流れに乗る気分でもない時、勤め先のローカル・スタッフに声をかけたり、或いはひとり、社で回し読みされ、若輩者には最後に下賜される数日前の日経新聞を数冊抱え、ジュロン工業団地の、町側から見るととば口、海側から見ると出口にあった当該チェーンに足を運び、ワッパーだのダブル・チーズだのフィッシュ・バーガーだのをぱくついては、ため息をついていた。東南アジアの奇跡、なんて言うほどの高度経済成長を見せた当該島嶼国家であるが、植民地としての出自がそうさせるのか、当時は外食で頼む飲料にアイスティを所望するひとが少なくなく、影響を受けわたくし自身、こちらでもペプシやスプライト(セブンアップだったかな? )ではなく、冷たいブラック・ティを注文する事が多かった。で、ローカル・スタッフの同僚が現地訛りで注文しているのをボーっと聞いていると“Can I have Iced Tea, please, la! “と、言っているのに、仕事の経験は国内で積んでいたが、英会話については白帯どころか入門以前であったわたくし、うへ、コイツら、コックニーで訛ってるくせに、ちゃんと「動詞の時制活用による形容詞化」してやがる、スゲーっ!と、甚だしく低いレヴェルで感心すると共に、こちらもチョーシこいてアイスト・ティ、プリーズとやって、いっぱしの言葉使いになった「ような気に」なっていたのだから、イナカモンキー・キノボリさんというのは誠、始末が悪い。その廿何年か後、今の会社で海外営業職につき、久しぶりに赴いた同地の展示会。フライパン片手に現地訛りでバリバリの営業トークをぶちかましていたら、ご来場の母娘連れのご母堂から「アンタ、日本人なんだからシングリッシュなんてやめなさいよ、ウチの子はプロッパーな英語とフランス語しか習ってないから、アンタの言ってる事、わかんないって、さ」と、やっつけられ、赤恥をかいたのも又、佳い想い出……ってな事を思い出しながら、いつの間にか楕円のコッペパン・スタイルから、真円のバンズに形状を変えていた "BKフィッシュ・バーガー" をパクつき、傍の「アイスト・ティ」をズズっとやると、年をとってもやる事なんて、大して変わらないネ、はは、と、口の中で呟き、スマホに映し出される日経電子版の朝刊記事を、ローガンキョー越しに覗き込まない、事もない。尚、具体的な御菜の詳細は、別掲の写真ないし写真のコメント欄に当たって頂きたい。