一夜明けるといっせいに東京中の桜が咲いたらしく、あわててぼくといつもの女友達は夕方の靖国神社に出かけた。薄紅色におおわれた白昼夢のような風景のなか、ぼくらは石畳を歩き、参拝をした。さて、その後ぼくらは靖国神社の坂を下り、昭和前期には軍人会館と呼ばれもした九段会館を脇に見やり、そのまま少し東へ歩けば神保町で、そこは追憶を売る街だ。人は過ぎ去った時代の面影をたずね、この街をおとずれる。ここではあらゆる過去は現在に織り込まれた襞のようなもの。たとえば漱石の『三四郎』を開けば、上京したばかりの純朴な青年、三四郎が目に映る二十世紀の東京にのいちいちに驚愕していて。他方、新時代の女・美禰子は、髪にリボンを飾り、若き科学青年・野々宮さんとのおもいどおりにゆかない恋に煩悶しています。そして三四郎は、かつての星雲の志はどこへやら、あっというまに学問を忘れ、美禰子にちょっとそそのかされたとたんに、来たるべきわが二十世紀の恋愛を妄想し、心を騒がせてゆく。三四郎にとって気の毒なことには、実は美禰子にとっては、自分がちょっとだけ三四郎と仲良くしてみせることで、そしてそれを野々宮さんに見せつけることで、野々宮さんの気を惹きたいだけなのに。(ぼくと女友達は、あいかわらず漱石を読んでいて、心は明治末です。)ぼくらはかるく神保町を散策し、中原淳一、竹久夢二など明治末から大正、昭和前期の絵師たちの画集など覗き、そして日が暮れると、こちら静邨さんの暖簾をくぐった。なお、この日ぼくらはこんな流れで、愉しんだ。日本酒・天鷹 熱燗 650円×2(つきだし、カジキマグロとホタテの煮込み)茄子の揚げ出し 650円(薄味ながら、ダシの旨味が染み渡っています。)ニシンの煮もの 750円(ひかえめに醤油と、ほんのりした甘さの味醂、そしてカンブとカツオブシで香りをまとめたダシ汁で、うまみ深く脂ののった鰊がこってり煮込まれています。)湯豆腐(鶏、豚、野菜のなかから鶏を選んだ) 950円おだやかではんなりした薄味のダシ汁のなかで、豆腐とネギと白く清楚な鶏肉がむっちり茹でてあります。上品なおいしさです。そして〆に、田舎蕎麦を蒸篭で。830円×2こちらは全粒粉の手打ち蕎麦であり、コシがあって、風味も味わいも良い。ぼくはこちら静邨さんでは、田舎蕎麦が大好きだ。ほんとにすばらしい。何枚だって食べられるけれど、ただし、1枚でやめておいた。ぼくらはまったり時間を過ごし、お勘定を済ませ、ふたたび夜の神保町をそぞろ歩いた。ところどころに戦前の趣を残し一見むかしながらにおもえる神保町も、しかし、じっさいには再開発も進んでいて、いまや高層インテリジェントビルの谷間に残された書店街という趣がある。美しい夜桜の彼方に禍々しい戦火が見えます。つい考えてしまうことは、ロシアによるウクライナ侵攻のこと。もともとはロシアの側にも、この軍事侵攻に、それなりの道理があったでしょう。あくまでも、「もともとは」、ですけれど。ポイントは3つあって。ひとつは、過去30年間にわたるNATOの東方拡大と、NATOのロシアへの攻撃準備です。そもそもソヴィエト連邦崩壊後、東西冷戦体制も消滅し、NATOはもはや必要もないはずにもかかわらずなぜかNATOは温存され、それどころか、ロシア側のこれ以上はやめてほしいという要請を無視し、じりじりと東方拡大し、国連の安全保障理事会の承認なしに、軍事演習を繰り返しています。冷静に見れば、西側諸国がロシアにおこなっていることは、かれらがイラク、リビア、シリアに対しておこなってきた一連の攻撃のヴァリエーションと理解できるでしょう。ふたつめは、2014年以降はネオコン・グローバリストたちが、ウクライナ政権を乗っ取り、傀儡政権をでっちあげ、政権をおもうがままに操り、それまでの親ロシア政権から一転して、反ロシア政権となって、しかもその政権はアゾフ大隊と深いつながりを持っていること。アゾフ大隊は、もともとはロシアと闘う自警団のようなものとして生まれたものであり、ウクライナにおいてはヒーローという側面を持つものの、他方で、アゾフ大隊はいつのまにかネオナチの集まりにもなってもいます。しかも、アゾフ大隊は過去8年間にわたってウクライナのロシア人たちへの虐待を続けています。なるほど、この状況はプーチン大統領にとって許しがたいものでしょう。プーチン大統領は、ウクライナの脱ナチ化(中立化)を急務と考えています。みっつめは、ネオコンは石油やガス市場のイニシアティヴを奪いたいがために、ウクライナを親米政権化して手なづけ操り、ウクライナを使ってロシアを挑発し、すなわち「われらがロシア正教の精神的共同体」を破壊していること。もっとも、これについてはウクライナ国民の意見は必ずしも同じではないでしょうが。こうしてロシアによるウクライナ侵攻がはじまったわけですが、しかし、開戦から1か月たったいま、ロシア軍の攻撃によってブチャの街をはじめ、ウクライナが広範に無残な廃墟と化したいま、そしてロシア軍によるウクライナへの乱暴狼藉の数々がなぜかいきなり明るみに出たいま、(それがフェイクニュースの可能性はあるとはいえ)、もはやこの軍事侵攻にロシアの大義を見出すことは難しいでしょう。ロシア軍がなぜこのような残虐無比な方法しか選べなかったのか、理解できる人はひとりもいないでしょう。西側による報道には大いにバイアスがかかっていることは前提ゆえ、あの報道にそうとうの疑義が感じられますが、それでも、あの廃墟映像を見せられると、誰もが言葉を失うでしょう。(後註:その後。このブチャの大量虐殺はウクライナによるものだった、また「殺された多くの民間人」というニュースはウクライナ側による、フェイクニュースだった、というという報道が出ています。)もっとも、そもそもウクライナ市民にとっては、さまざまな民族的出自の人たちがいるゆえ、おもいはそれぞれ違うでしょうが、遡ればウクライナにはロシアとは別の歴史的文脈があり、けっして自分たちを小ロシアの一員だとはおもっていない。ウクライナ市民はけっしてプーチン大統領の大ロシア妄想を共有していない。もちろんウクライナはけっして独裁国家ロシアの介入を求めていない。ロシアに軍事侵攻されるなんてまっぴらだ。くたばれ、ロシア軍!われわれはなにがなんでも抵抗を止めない。なぜプーチンは罪もないウクライナの人たちの人生を壊してしまうのか!??許せない、まったく許せない。We will win,definitely!なるほど、ウクライナ人の怒りはたいへんもっともです。もっとも、その裏面には、アゾフ大隊による、ロシア系ウクライナ住民に対する非道な蛮行が隠されているのだけれど。なお、今回の戦争において、たとえば、〈ロシア軍によるウクライナ民間施設への爆撃〉として報道されていることの一部は、実はウクライナのアゾフ大隊による自作自演であるらしい。さらにはアゾフ大隊による、降伏して捕虜になったロシア兵に対する残虐行為は、凄惨きわまりない。しかし、ウクライナに雇われた西側の多数の戦争広告企業はけっしてウクライナ側の蛮行は報じず、もっぱらロシアを悪として演出したニュースを世界に発信しています。なお、アゾフ大隊は、ISISがかつておこなったように、国際テロリスト組織として、みずからの軍隊を成長拡大させたい。そしてそんなアゾフ大隊がもはやウクライナ軍と深い関係を持っていること。つまり、いまやウクライナ側の道義もまたけっして額面どおりには受け取れません。しかし、だからと言って、ロシア軍がブチャの街でおこなった極悪の数々があきらかになったいま、(それがフェイクニュースである可能性もあるとはいえ)、ロシアを弁護することもまた難しい。ロシア軍の攻撃もまた、とっくに戦争のルールを逸脱した残虐無比なものです。なお、ロシアは今回のウクライナ侵攻に先立って、中国の支援をとりつけ、じっさい今回中国はウクライナ主要機関へのサイバー攻撃を担当しています。次に、中国は、一方でウクライナに物資を支援しながら、同時にロシアへも物資提供を続けています。他方、今後西側諸国からウクライナへの軍事援助も増えるでしょう。同時に、西側による戦争報道全体への疑いと批判も高まっています。もっとも、東側による報道とて自国に都合の良いプロパガンダであることは同じですけれど。戦争がいつまで続くのか、またどんな終結のかたちがありえるのか、それらもまったく不明です。アメリカおよびNATOはあきらかに今回の戦争の原因を作りながら、しかしいまこの悲惨な戦時下で(無責任にも)ロシアとの調停に乗り出す気はありません。また、そもそもヨーロッパはロシアの天然ガスに依存しているため、ロシア制裁もまた徹底的にはできません。ウクライナ市民にとってはただただ地獄が続きます。他方、ロシア軍は戦争の成果なしに撤退することはありえないでしょう。ロシアの最優先事項は、西側諸国からの攻撃から自国を護ることですから、おそらくロシアはウクライナを(朝鮮半島のように)分断し、東部~黒海沿岸部を奪いたいでしょう。むろんウクライナはそんな事態を許すはずもなく、戦争は長引くでしょう。けっきょく兵器産業と石油企業だけがよろこび、ウクライナ市民にとってはただただ地獄です。またロシア兵士にとっても、もはや戦争の意味を見出せないでしょう。もちろんこれから世界経済は分断されるでしょうし、今後の動向は予断を許しません。日本においても、3月28日、対ドル円レートが1ドル125円まで下がり、これからガソリンの価格や電気代も上昇するでしょう。輸入品を中心に値段は上がり、ひいてはインフレが起こるでしょう。それだけで済めば、まだましかもしれません。おもえば漱石が『三四郎』を書き、最初の読者が夢中になったのは、日露戦争の後であり、第一時世界大戦開戦の6年まえだった。そしてまた爆撃されて廃墟と化したウクライナの諸都市の向こうに、大東亜戦争敗戦後の日本が見えます。愛する人とおいしい酒をいただき、趣向のある小料理をつまみ、打ちたての蕎麦をたぐる。ただそれだけの幸福がただただかけがえがない。そう言えば、ロシア人は蕎麦の実の粥、kasha が大好きだそうで、ぼくもいつか食べてみたい。蕎麦の実は貧しい土地、厳しい気候であってもたいへんよく育つらしく、それはロシア芸術とまったく同じである。おもえば漱石は、当時の日本にとって前代未聞の戦争、日露戦争のさなかに、『吾輩は猫である』を書いた。日本政府は、ロシアの南下を警戒した。ロシアは冬に港が凍る。だからロシアは冬にも凍らない港が欲しい。だから19世紀半ば、トルコに戦争をしかけたものの、失敗した。ならば、次にかれらが朝鮮半島を求めるのは当然の流れである。そうなると、ロシアの欲望がそこで止まるわけがない。次は、ロシアは日本を征服したがるだろう。そんなことをさせてはなるものか。それが明治政府の気概であり、だからこそ、頼りにならない朝鮮を配下に収めた。そんな流れのなかに、当然のように日露戦争は起こった。そして国民皆兵により、当時4000万人に満たない日本人のうち109万人が動員された。いつの時代も戦争は莫大なカネがかかるもの。日本は当然のように戦時下増税をおこない、かつまた、外国債を大量に発行して、すなわち壮大な借金をして、戦費をまかなった。新聞は民意をまとめることに情熱を傾け、開戦時には、市民たちは提灯行列で応援した。戦争に行かなかった日本人も、みな兵隊さんに餞別を送り、缶詰、菓子、酒、煙草を詰めた慰問袋を兵隊さんに捧げた。すなわち、市民は誰もが「国民」にされ、国民一丸となって戦争に邁進してゆく。そんな時代に、漱石は胃潰瘍と精神疾患に苦しみながら、なんとも不思議なユーモア小説『吾輩は猫である』を書いた。この小説のなかでは、そこ知性派の猫が、人間がいかに自分勝手で獰悪な動物であるかを笑いの種にする。同時に、この猫は、飼い主および、かれの家に集まる「太平の逸問」たちの無為なおしゃべりに半ば呆れながらも、しかし、「国民一丸となって戦っている」戦時下にもかかわらずの、なんとも太平楽なかれらのばかばかしいおしゃべりを、ひかえめに肯定したものだ。Eat for health,performancかし、e and esthetichttp://tabelog.com/rvwr/000436613/