此度(こだみ)は、只顧(ひたすら)懐古趣味(ふるめかしきものぐるひ)。かくて、『荻㙒』より辭別(いとまごひ)し、彼此(をちこち)逍遙(うろつきまは)り、『や婦゛楚者゛』に、、。刮目相看(まなここすりてみる)べきは、その外觀(かまへ)!かくのごとき老舖(しにせ):それも、無名蕎麥店(なもなき楚者゛きりのみせ)は不味(あぢあしき)が通例(つね)。"粉山葵(こなわさび)"、"冷凍鰕(こほれるえび)"に"駄蕎麥(だ楚者゛)"、、と、想像(おもひゑがく)も不難(かたくなし)。とは云へ、新舊(あらたしきものとふるきもの)、夥(あまた)蕎麥店(楚者゛や)の鬩(ひしめ)くこの近邊(あたり):今(いま)に殘存(のこる)は、相應(それなり)の存在理由(わけ)あらざるべからず。慈烏(からす)?、不然(しからず)!、窗玻瓈(まどがらす)。牕(まど)より射(さ)す日光(ひのひかり)は虚弱(たよりな)く、"菜譜(こんだて)"をば慢慢地(ゆるり)精査吟味(すみからすみまであらたむ)。"鴨南蠻(かもなんばん)"から"炸豬排蓋飯(かつどん)"まで種々雜多(さまざま)。"駄蕎麥(だ楚者゛)"なるは「明若觀火(ひをみるよりもあきらか)」なれど、遉(さすが)に"切麪(きりむぎ)"の等類(たぐひ)需(もと)むるは憚(はゞ)られ、"鴨蒸籠(かもせいらう)"の"蕎麥切(楚者゛きり)"、對價(あたひ)、一千三百圓也(いつせんさんびやくゑんなり)。桌上(つくゑのうへ)には作料(てうみれう)一式(ひとそろひ)。"醬油(しやうゆ)"は、下總(しもつふさ)"ヤマサ牌(じるし)"の"濱口儀兵衞(はまぐちぎへゑ)"。清潔(きよらかさ)が保持(たもた)れ、その底力(そこぢから)を認識(しれり)。ほどなくして、注文品(くだんのしな)が此方(こなた)に、、。倩(つらつら)その"蕎麥切(楚者゛きり)"を觀察(うかゞ)ふに、『や婦゛』を標榜(なのる)も、『更科(さらしな)』を髣髴(おもは)す白(しろ)さ。嗚呼(あゝ)、「藪(やぶ)を突(つゝ)きて、更科蕎麥(さらしな楚者゛)」とは、、。永遠(とは)の謎(なぞ)は、この×色情狂(いろ●ちがひ)〇色違(いろたがへ)。"鴨蒸籠(かもせいらう)"には、慣習(ならひ)の鴨肉片(あひがもにくのうすぎり)、蔥(ねぶか)に加(くは)へ、竹筍片(たかむなうすぎり)、三葉芹(みつばぜり)、と云ふ搭配(くみあはせ)。愚按(やつがれおもふに)、鴨肉(あひがもにく)は"片(うすぎり)"より"塊(かたまり)"が優越(まさる)。獼猴(さる)は上㙒(うへの)か、×淺草(あさくさ)〇日光(につくわう)か?「周章(あたふた)と 啖(くら)ふ蕎麥(楚者゛)にも 日光(ひのひかり)」爰(こゝ)で周圍(まはり)はと窺(うかゞ)ふに、過半(あらかた)地元(このち)の相知(なじみ)と推定(おぼし)き客(きやく)。「"粉山葵(こなわさび)" 不可喰(くへぬ)俺(おれ)だに 居(ゐ)るものを聲(こゑ)も發(いだ)さず 啜(すゝ)る蕎麥切(楚者゛きり)」---------------------------------------【暗匣】:東京通信工業 索尼(Sony)α7 III 無反光鏡可換鏡頭照相機(みらーれす)【鏡珠】:東蔡(Carl Zeiss Jena)紅 MC Pancolar 1.8/50 @F2.8~F5.6福倫達(Voigtlaender) COLOR-SKOPAR 4/21 P VM @F11